天才について語ろう

生きています。かろうじて生きています。

クローズ就労を目指して就活中ですが、めちゃくちゃに祈られてます。

LITA■■COワークス使ってみましたが、あれはリワーク的なポジションだからエージェントとしては一切使えないんで…ってご丁寧に電話が来ました。

今は何となくいろんな隙間におちて誰からも助けてもらえない絶望感で生きています。

 

 

 

タイトルはFate/EXTRA Last Encore 第8話のセイバーの語りから。

最近Fateやってます。ハマってるのかもしれない。様々なIFが存在して様々な虚構と真実が入り乱れて平行世界のはなしも出てくるので色々と考えます。

長いので一旦区切ります。

 

第8話中で主人公(記憶喪失気味で自己アイデンティティが不確実故に色々と揺らいでいる)に対して、その主人公と契約を結んでるセイバーが語るシーンがあります。

 

「天才について語ろう。
天才とはすぐれた才能、能力を持つものをいうのだ。
才能があるだけではただの才人だ。

敵を斬ることに特化したそれ(剣)と変わらない。

【天才とは何か。】
それは自分と他人の違いを明確に知るものだ。
人間は互いの能力を比べながら根底では自分たちは同じと依存してしまう。

だが残念ながらそれはない。
人間は誰であれ違うのだ。

自分にできることは決して他人にかなえてもらえないもの。
他人にできることは決して自分には届かないもの。
天才とは残酷にもそこを分かつ者のことをいう。

人間は皆『最終的に自分と他人は同じものだ』と考えたがる。

それはとても素晴らしいものだから。
満ち足りた暖かなものだから。
皆が分かり合え、価値観を共有し、手を取り合えるのならそれが最良の営みだと夢に描くからだ。

だが現実はそうではない。
それぞれの役割がある、それぞれに欠点がある。
他人を信じるのは良いことだ。
だが、その前に自分と他人は違うのだとわかってほしい。
ムリに大きなことをせずとも良い。

そなたはそなたのできることを、余は余にできることを、それは各々この世界で出来ることだ。」

 

 

これはアニメとは全然関係なくて自分の感想なんですけど「ああ、本当にそれを受け入れるか、受け入れないかで進む道が違う」と思います。

セイバーなんて英霊ですから、ある種「何者かになれた」側の人間(だったもの)です。

でもそんなもの世の中のほとんどの人はなれない。

「何者かになれるかもしれない希望」を捨てきれず、諦めきれずにもがいてどうしようもなくなって苦しくなる、そういう道をひたすらに歩んだ私には今回のはなしは物語というよりかは「一つの病を背負って普通の道から逸れた人間はどう生きるのが最善に近いのか?」という一つの解釈を出してくれた気がします。

発達障害ではないのですが(当てはまる特徴はいくつかあるも、WAISの検査では当てはまらない、と主治医からも言われた)どうしても「○○さんにできるなら私もできるはずだ、頑張らなければ」みたいなことや、自他の境界が曖昧になってアクシデントを起こすことが多いです。過剰なまでに「相手が分かってくれるはず」と「相手には理解されない」のシーソーゲームをしてしまいます。

 

「だが、その前に自分と他人は違うのだとわかってほしい。
ムリに大きなことをせずとも良い。

そなたはそなたのできることを、余は余にできることを、それは各々この世界で出来ることだ。」

 

多分、私はこっち側のセリフを大切にして生きていった方が自分が望む人生が送れるんじゃないか、と泣きながら思いました。

「生きてるだけで偉い」とかいわれますが、私からしたら「それしか褒める部分がないぐらいには私は何もない。そもそもそれは偉いことなのか?褒められるものか?もっと別の事で認められたいのにそれがかなわない…(希死念慮)」となってしまう。

どちらかというと、セイバーのいうように「自分と他人は違う」ことを理解した上で「自分にしかできないことを」やる、やれることを今はやる、やれないことは誰かができる、この世界はそういうことがたくさん折り重なってできているんじゃないか、と思います。

誰かにできるから自分にできるわけじゃない、自分にできるから代わりに誰かができるわけじゃない、ただ明確にそれは分からないから人間は代替可能なのではないか、となってしまう。

ただ冷静に考えたら代替可能なんてものはなく、同じ人生を歩んだとしても経験、環境、文化資本等で代替不可能なものにしかなりえない。自分と他人は違う、代替不可能な個別の存在であるがゆえに、その存在に敬意を持ち、生きていきたいなぁと思いました。

 

肝心のアニメの方はFateシリーズをロクにやったことがないのですが全然わからないですね。主人公、結局過去の死んだ人間の怨念が具現化して過去に生きていた人間ベースにして生み出されてしまった、ということなんでしょうか。ごめんまずムーンセルとかわからないからわからないんだ…毎週セイバー可愛い…余は可愛いな!!!!うむ!!!ってやってます。FGOでは持ってないんですよ……ラスアンみてたら使いたくなっちゃうなぁ。

 

 

個別化をでき、その個別化の上で人をどう使うか、どう生かしていくか、みたいなものが天才なのかもしれないですね。

人生がそういう風に割り切れればいいんですが、私はまだまだ時間が掛かりそうです。

昨日も不安薬をガッと飲んで今日は一日中寝ていました。

どうしてこんなにお祈りされるのか、という原因はもうわからないです。あまりにもひどいのでそろそろ本格的に■■も考えています、特に失うものもないので。

人間が助けてくれるわけでもなければ自発的に動いても助けてもらえるわけではないので八方ふさがりです。本当はすごく助けてほしいですけど、どういう助けられ方がいいのかわからないですね。

とりあえずそろそろ最終回も近いのでラスアンは見終えてから考えたいと思います、人生。

 

何者にもなれなかったけど、でも何者かになりたかった気持ちは捨てられずに、今日も曖昧に生きています。