人が海に戻ろうとするのが涙なら抑えようないね

ここ数週間、あんまり希死念慮とは触れ合わずに生きてきた。久しぶりだった。

ただ、別に何かしたいとかは特別になかった。なんとなく、自分は社会という当たり前のようなものを足枷にしてないと人間の形を保てないんだなぁ……と思った。知能検査では別に障害の結果なんてなかったけど、凸凹はあった。案の定動作性がぼろぼろだった。それについては今度書きのこそうかな。パソコン壊れちゃったんたよな。

 

 

会社を辞めてからライブにもいった、3本ぐらい。

久しぶりに楽しかった、楽しかった。よかった、こういう感覚を失ってしまって戻って来るまで2年かかった。

私の2年間の努力をまた崩されるぐらいなら、私は辞めてよかったと思った。そういう気持ちで今に至る。

 

 

私はどうしたって生きづらさから逃れられなくて、あらゆる辛さから簡単に救ってもらえるなにか全知全能のものを求めてるけれと、それは簡単には降って来ず、唯一辛さから救ってくれるものがあるとしたら、自分の中で結晶にしないといけないのかもしれない。

結晶にするためには生き続けなければいけなくて、結局死にたいから救われるには生きなければならないという最も苦痛を伴うことしかないようだ。これは最近なんとなくわかった。

ただ、死んではいけないのはなぜ、という答えはでていない。

 

 

心理士さんから「目を通じて自然光を入れるのがいいんですよ」といわれた。

そうか、それなら楽だなあ。

 

前の会社の課長からもらったアドバイスは、律儀に実行している。「お前が興味あるものみつけらんねーのは、見てないからだ。とりあえす毎日外に出ろ!」というわけて、毎日外にはててる。みつからないけとでてる。

これも結晶になって、私をいつか救ってくれるんだろうか。たまに悲しくなって泣く。泣くたびに「人が海に戻ろうとするのが涙なら抑えようないね」というフレーズが浮かぶ。そうだな、海に戻れたら楽になれる、泣くのも仕方がないなぁと思う。だから私は海をみるとなんとも言えない気持ちになる。

海に馴染みがないから余計にそういうセンチメンタルなものに引き摺られるのかもしれない。

 

 

冬が早く終わって欲しい、なんとなく冬はつらい、つらいことばかりだった気がするからあんまり冬が好きじゃないのかもしれない。

なんとなく幸せ、ぐらいが一番いい気がする、そういう穏やかな日々が続けばいいのにね。