たとえ鬱が夜更けに目覚めて 獣のように襲いかかろうとも

でも夜更けに目覚めるのはやめてほしいな……って聞くたびに思います。

ここ最近、すごいキリンジが好きで、なんとなく夜中とかに聞いてるんですが、良いです。

 

 

ぼんやり、自分が辞めるけどまだ辞めることを知らない人がたくさんいて、なんとなくこっそり死ぬってこんな気分なのかな、って味わってます。

誰が何言ったって私の心はいつも不安定で、見た目は仕事してるけどその中ではすごい葛藤がある。

それはみんなそう、っていわれたらそうかもしれないけど、そんな状態で生きてくのは無理だなって思った。心の病に罹ってても罹ってなくても他人には優しくしてほしいし、ちゃんと人のこと観察して評価しなよ、ってなる。

「病気したら他人に優しくなれるよ」っていう言葉が一番嫌い。そういう人に限って病気にならないし。ハァ?!ってなるんですよ(突然のキレ)

 

まあ、まだこうやって鬱が襲い掛かってくることの方が多いなかで仕事して分かったのは「そういう状態でも本質は変わらない」ということかな。

精神がアレすると性格ももうなにもかも終わりだ、生きてて良いことねぇ、クソ、なんだこの性格、人生、ってなるんですけと、他人はそこまで見てないというか、そういう状況にある私を知ってても、知らなくても、好意的に見てくれる人はいるんだなあ、と。

 

今の部署になって、本社の部署の人とすごいこまめに連絡とることが多くなって(仕事わからないし事務処理もイレギュラーに出会うと必ずその人に聞いてた)最初は恐る恐る聞いてて、でもだんだんお互いあったことないけど内線とメールでやりとりして仲良くなった人がいたんです。

こないだ辞めることを伝えたら「もう辞めちゃうから言うんですけど、私はあなたが欲しかった。あなたとならうまくやれるかな、って思って、部長とかにも連れてきて!っていってたのに、どうしてそんな、普通なんていうわけのわからないレールに沿って走らなきゃいけなくて、それが無理だからって辞めなきゃいけないんですか」っていわれてしまった。

この人は全然、私が病気であることを知らない。

普段の仕事で判断してくれてて、現場の人間は粗暴なけだものフレンズ(40代〜50代独身男性8割)とは大違いだよぉって泣きました。

レールに乗って鬱を再燃させて、入院まで行くか、辞めるかの二択、私にとっては緩やかに苦しい死と生という二択。そんなの選ばせるの、っていって、そうだっていわれたら、まぁ、何回しにたいしにたい思ってても、やっぱり生きるほうを選んでしまう。

 

こんなんで生きてていいのかな、なんて思う時もあるけど、別に、病気だから生きてちゃダメとかそういうのはなくて、生きにくいのももしかしたら、周りにいる人が違ってればそんなことないのかなって思ったりもする。

 

25年生きてきた色んな人の言霊に未だに縛られ続けてるから、はやくその鎖を誰か一つずつ断ち切ってくれないか、とぼんやり思いながら(他人任せだな)過ごしてます。

多分辞めたら、色んな寂しい気持ちが押し寄せてまたおかしくなりそうだけど、それは先の話だから今は何も思わないでいよう。

 

 

もう秋ですね。

金木犀が香ってる街中を歩くたびにセンチメンタルになる感性は、嫌いにならない。