幸せは途切れながら続くのか?

フィクションですといいたい

破壊願望と自殺願望

このふたつがどう違うのか考えている。

 

「私は健康ですが不健康になりたいので自ら身体を壊すようにしています」という台詞を先日いわれ、不健康な私はなぜそうなりたいのか?を考えている。

 

おそらく破壊願望。自分で自分を壊したい願望。

でもそれがいけないことか、と言われると死ぬわけではないし悪いことではないのだろう。

その人は精神的に不安定だ、と会社で言われている。仕事はミスが多いのでみな割と邪険に扱ってるが、私はなぜみながそういう扱いをするのか実のところわからない。今は健常者であっても、何かのタイミングで「こちら側」にくることなど容易なのに。

 

おそらく自分も、彼女と同じ「厄介者」のジャンルだからこんな風に考えてるのだろう。

少なくとも自分がされて嫌なことが彼女には降りかかっている。しかし、自分と彼女は立場も違うし年齢も違う。

私に出来ることなど何もない。

 

結局、日常ですら活躍できたりするのは健常者であり、なんらかの事情で健常者足りえない者になったら、世界は、恐ろしく生きにくいものになるのかもしれないと考える。生きやすい世界にいる人は、どうかその生きやすさが長きにわたり続くといいな、と思う。

 

 

転職する気力や体力、財源があれば転職だろう。

だがしかし非健常者に優しい職場などないのだろうと今までの経験則でぼんやり気づくと、虚無感に襲われる。

 

残る自らが取り得る選択肢は人生からの退場かもしれない。

困った世界だ。

 

医者は希死念慮なら何もしない。自殺願望になったら強制措置を取る、と告げた。

悪化していく私は、いつまで私であることに耐えられるのか。それに耐えられなくなった時、自ら許すことができずに最後の罰として死ぬことを選ばせるのだろう、自分が、と思う。

 

 

そう思いながら、今日もそういう世界で自分の状態がバレないように、生きていく。